はじめに
先の記事で社会でお金の総量が増えるとき、減るときの話をした。
ただ「お金が増える/減る」とはどういった意味で、そこにどんな影響があるのかについて深堀していきたい。
「お金が増える/減る」だけでは経済に影響はない
まず「お金の総量が増える/減る」こと自体は本質的には経済に何の影響ももたらさない。
こんなケースを考えてみてほしい。今我々が使っている1万円札を今日から1万5000円と呼ぶことにする。他の紙幣も硬貨も同様に昨日までの金額を1.5倍した金額で呼ぶことにする。
こうすると、社会全体のお金の総量は1.5倍に増える。当然これは価値を半分にしても同じことだ。
これで何か影響があるか考えてみてほしい。当然経済には何の影響もない。
昨日まで100万円だったあなたの貯金は150万円になったが、あなたの友達の200万円の貯金も300万円になっている。そして今まで10万円だった家賃は15万円になっているはずだ。
当然現実にこんなことは起こりえない。ただここで伝えたかったのは、いわゆる「お金の総量」を考える際に本質的な論点は実は「量」ではないということだ。
では本質的な論点は何だろうか。それはお金の「配置」である。
現実世界でお金が増えるケースの一つに日銀による金融緩和がある。
詳しい説明は割愛するが、政府の借金である国債を日銀が主に民間銀行から買い取ることにより、民間銀行等を通じて社会に対してお金を供給するのである(これは買いオペと呼ばれる)。
この場合、日銀は何かを元手として国債の買い取りを行うわけではなく、「無」からお金を生み出して国債の購入に充てる。
この日銀による買いオペのケースでは、ゼロからお金が生み出されているため確かに社会全体でのお金の総量が増えている。しかし、先ほど述べたように本質的なポイントはその量ではなく、配置である。
※買いオペで直接に増えるのは主に民間銀行の日銀当座預金などを含むマネタリーベースであり、実際の市中に流通するマネーサプライの増加につながるとは限らない。
ではこの買いオペによってお金の配置はどう変わったのだろうか。
買いオペは基本的に、①政府の国債発行→②民間銀行が国債を買い取り→③日銀が国債を買い取りという流れを取ることが多い。
こう考えると、民間銀行を経由しているものの、実質的には日銀が政府の国債を買い取っていると言えるだろう。つまり政府は日銀がゼロから生み出したお金を借りているということである。
配置の話に戻ろう。この買いオペで実質的に起こっていることは、社会全体のお金の総量から見たときの政府のお金の保有「率」が上がったということである。
仮に社会を政府部門と民間部門に分けて考えてみよう。民間部門には我々個人のお金や一般企業のお金が含まれる。いま社会全体でのお金の総量が100万円であり、政府部門はそのうち10万円を、民間部門は残りの90万円を保有しているとする。この時、政府のお金の保有率は10%である。
ここで先ほど説明した買いオペの過程で、政府は日銀がゼロから生み出した20万円を手にしたとする。
この時社会全体でのお金の総量は120万円になり、日銀はそのうち30万円を保有することになる。もともと10%だった保有率は25%に上昇する。そしてそれはつまり、民間部門の保有率が90%から75%に下落したことを意味する。
先ほど言ったようにこの20万円を従来の保有率に沿って配分した場合、経済的には何の意味もない。つまり20万円のうちの2万円を政府が、18万円を民間部門が受け取った場合(厳密には各部門内でも今の保有率が変わらないように分け合った場合)、それは100万円だったお金の総量を120万円に増やすことで、1万円札を1万2000円札と呼ぶことになったことに変わりがない。
つまり冒頭で挙げた例と同じで経済的な意味はないのである。
ただ当然比率が変わると経済的な影響がある。
例えば増えたお金を子持ちの世帯だけに供給したとする。この場合、子持ち世帯は相対的に他の世帯や企業などよりも多くの富を持つことになる。
こうなると、例えば教育系の産業や育児に関連する産業にお金が流れやすくなるなど、経済的なインパクトが見込めるのである。繰り返しになるが、これはお金の総量が増えたことで起こったインパクトではなく、配置が変わったものによるものである。
お金の総量が増えたのは、配置変えによって引き起こされた結果にすぎず、その原因にはなりえないのである。
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