はじめに
我々が持っている現金や銀行預金の残高は日々増えたり減ったりしている。
では社会全体で見た、お金の総量についてもこれは同様なのだろうか?
あなたがコンビニで支払った100円はあなたの財布からはなくなるが、消えて無くなるわけではなくコンビニへと移動しているだけだ。
あなたが貰う給料も突然湧いて出たものではなく、会社の財布からあなたの財布に移動しただけだ。
こう考えると誰かの出費は常に誰かの収入であるのだから、社会全体で見たお金の総量は一定なようにも思える。
しかし実際には社会全体で見ても、お金の総量は一定ではない。
ただ我々個人とは異なり、社会には外部が存在しない。
つまり我々個人の単位で見たときには、AさんからBさんにお金が移動することはあるが、社会Aから社会Bにお金が移動することはない。
ではなぜ社会全体で見たときにお金が増えたり減ったりするのだろうか。
この謎を解くカギは、お金は「何もないところから突然生み出されたり」「突然姿を消す」ことがあるということだ。
このように突然湧き出てきたり、突然消失することがあれば、外部が存在しない社会という単位で見たときにもお金の総量が変動することは納得できるだろう。
では具体的にはどのような時に、お金は「何もないところから生み出されたり」「突然姿を消したり」するのだろうか。この記事では以下の順を追ってこれについて解説していく。
- そもそも「お金」とは何か
- お金が生み出されるメカニズム
- お金が消失するメカニズム
そもそも「お金」とは何か
お金が生み出されたり消失するメカニズムを語る前に、まずは「お金」というものを定義していきたい。
「お金」の定義の仕方は実は一様ではない。
例えば、ビットコインは「お金」なのか。PayPayの残高はどうか。投資信託はどうかなどである。
これらは比較的簡単に現金に換金可能であったり、ほとんど現金と同じような役割をするため、広く見れば「お金」と呼ぶことができるかもしれない。
ただ今回は、分かりやすくするため「お金」を「現金」と「銀行預金」のみという意味で使うことにする。
次章よりこの「お金」がどのように生み出されたり、消失したりするのか見ていく。
※実際は日本銀行や民間銀行などの金融機関が保有する現金や預金は、それ以外の一般的な企業や個人が保有するそれとは性質が異なるため、指標における取り扱いが異なります。ただし本記事では、指標に基づいた日銀政策の分析などを目的としているわけではなく、「社会全体のお金の総量の増減」といったより素朴な疑問を掘り下げることを目的としているため、これらの厳密な取り扱いについては考慮しません。
お金が生み出されるメカニズム
お金が増えるメカニズムについてのよくある誤解は、「日本銀行が紙幣を刷ることでお金が増える」というものである。
ここでポイントとなるのは「紙幣や硬貨」の製造と「お金」の創造の違いである。
前者はいわゆる「現金」の発行のことであり、後者は冒頭で定義した「現金」と「銀行預金」を含めた「お金」の総量が増えることである。
そして今回のトピックである「お金」の総量に対して、「現金」の発行高は直接は関係していないのである。
先ほどの誤解に関して言うと、紙幣や硬貨が日本銀行や政府の管轄のもとで発行されるのは事実である。
しかし、この発行によって「お金」の総量が増加することはないのである。
なぜなら紙幣や硬貨は日本銀行や政府が勝手にその量を決めて発行・流通させているわけではなく、別のメカニズムによって決まった量だけが、必要に応じて発行・流通されるからである。
最近よく「日本銀行が紙幣を刷りまくっている」という話があるが、日本銀行がいくら紙幣を刷りまくったところで、彼らにその紙幣の社会への流通量を決める権利はないのである。
日本銀行や政府による「現金」の発行と「お金」の創造は関係がないことが分かった。では肝心の「お金」はどのようにして何もないところから生みだされるのだろうか。
それは民間銀行の融資によってである。(民間銀行とは我々が日常的に使っている銀行のこと。日本銀行との区別のためにこう呼ぶ。)
つまり銀行が企業や個人に対して、お金を貸し付けることで何もないところからお金が生み出されるのである。
このメカニズムを説明するために、まず銀行の融資に関するよくある誤解について言及しておきたい。
それは「銀行は我々が預けている預金を元手に、企業や個人へと融資をしている。」というものである。
このように融資の仕組みを理解している人は多いのではないだろうか。
「預金を元手に融資をする」というと、あたかも銀行が受け入れている預金額の合計の範囲内でしか融資ができないようだが、この理解は正しくない。
銀行は預金額の合計をはるかに上回る金額を融資することができるし、実際にそうしているのである。
そして銀行がこのように預かり受ける額を上回る額を融資することで、何もないところから「お金」が生み出されるのである。この過程を具体例を用いて考えていく。
非常に小さな社会を想定してみよう。ここには今から新たに開業する銀行A、預金者の佐藤さんと木村さん、そして企業が1社(X社)しか存在しないと仮定する。
そして今各者は以下の額の現金を保有している。
・銀行A:0円
・佐藤さんと木村さん:現金それぞれ100万円ずつ(合計200万円)
・X社:現金200万円
社会全体:400万円
上述の仮定の下だと、いま社会にあるお金の総量は400万円ということになる。
ここで新たに開業した銀行Aに佐藤さんと木村さんが現金100万円ずつを預金してくれた。
実はこの時点で既にお金の総量は増加している。今各者の保有するお金の総量は以下のとおりである。
・銀行:現金200万円
・佐藤さんと木村さん:銀行預金それぞれ100万円ずつ(合計200万円)
・X社:現金200万円
社会全体:600万円
佐藤さんと木村さんが預金した分がそのまま社会全体で見たお金の総量に上乗せされたことが分かる。二人が預けた銀行預金と現金がダブルカウントになっていないか?と思うかもしれない。しかしこれは正しい「お金」の総量の測り方である。なぜなら先ほど定義したように「お金」は「現金」と「銀行預金」を合わせたものであり、「現金」と「銀行預金」は区別して考えるべき全くの別物だからである。
※一般的に銀行などの金融機関が保有する現金と、個人が保有する現金は、その性質の違いから同じ指標の中ではカウントしない。
この説明は幾分屁理屈のように聞こえるかもしれないが、以下の例を考えてみてほしい。
佐藤さんは木村さんと食事に出かけ、そこでは佐藤さんが食事代10万円を建て替えた。後日木村さんは佐藤さんあてに自分の支払い分である5万円を送金したいとする。
この時銀行Aは木村さんの口座から5万円をマイナスし、佐藤さんの口座へ5万円をプラスする。このプロセスには銀行が預かっている現金は一切必要ない。必要なのは銀行のシステム上の処理だけである。
他にも佐藤さんがX社から10万円のモノを購入して、その支払いをするケースを考える。(実際はカード会社などを経由することが多いが、単純化のためにここでは直接振り込みとする。)
ここでも銀行Aがやることは佐藤さんの口座から10万円をマイナスし、X社が銀行Aに持つ口座に10万円をプラスするというシステム的な処理だけである。現金は一切必要ない。
さらに言うと、銀行は佐藤さんと木村さんから預かっている現金200万円をそのまま保持しておく必要もない。例えばそのうち100万円をオフィスの賃貸に使っても全く問題ないのである。
なぜなら上の例にあるように、預金者が実際に現金を必要とするケースは実は多くないからである。
このように銀行が「現金」を実際に保有していなくても、預金者は自分の預金残高を使って決済などの「お金」に必要な機能を利用できるケースが多いのである。
このように考えると「現金」と「銀行預金」は全く切り離し、別のものとしてカウントすべき性質のものであることが分かるだろう。
別の見方をすれば、「現金」は銀行にとっては自分でその利用先を決められる「自分」のお金であるのに対して、「銀行預金」は自分で勝手に使うことのできない「他人(=預金者)」のお金であり、そこには明確な線引きがあるため当然別物として考えられるべきなのである。
また銀行が保有している「自分のお金」は現金だけではない。我々が銀行に預金をしているように、実は銀行もまた「銀行の銀行」に預金をしている。それが日本銀行である。
民間銀行は日本銀行に「日銀当座預金」という口座を保有している。
この章の冒頭で、紙幣や貨幣の流通量はその発行者である日本銀行や政府が決められるものではなく、別のメカニズムによって決められた量が必要に応じて流通されることを説明したが、実はこの日銀当座預金が紙幣や貨幣が流通する窓口なのである。
我々が民間銀行のATMでお金をおろすのとちょうど同じように、民間銀行も日銀当座預金から現金を引き出すことがある。そしてこの時、我々がATMから現金を受け取るのと同じように、民間銀行は日本銀行の管理下で発行された日本銀行券(=紙幣)を受け取るのである。そしてそれを我々民間銀行の利用者がATMなどを通じて受け取り、社会に流通していくのである。
そのため日本銀行がいくら紙幣を刷ったところで、それを利用者である民間銀行が引き出さない限りは、その紙幣は社会へは流通していなかないということなのである。
少し脱線してしまったが、本題である銀行の融資によるお金の創造に話を戻そう。
具体例に戻る。今下記のような状態だと仮定する。
・銀行:現金200万円
・佐藤さんと木村さん:銀行預金それぞれ100万円ずつ(合計200万円)
・X社:現金200万円
社会全体:600万円
ある日X社が融資の依頼にやってきた。300万円の融資を受けたいという。
銀行Aは現金200万円しか持っていないが、先ほど説明したように銀行は預金額を上回る額を融資できるので満額300万円を貸し出す。この取引の後の各者のお金の保有額を見てみよう。
・銀行A:現金200万円
・佐藤さんと木村さん:銀行預金それぞれ100万円ずつ(合計200万円)
・企業X:現金200万円と銀行預金300万円(合計500万円)
社会全体:900万円
ここで300万円が社会に新たに誕生したことが分かる。
ここでも銀行Aがやらなければいけなかったことは、企業Xの口座に300万円をプラスするというシステム的な処理だけで現金は必要ない。先ほど述べたように、実際の現金がなくても決済などの利用者が期待する「お金」の役割を果たせるケースが多いからである。
それでは銀行はいくらでも融資し放題なのだろうか。
もちろんそうではない。先ほどまでは銀行が自分のお金(現金と日銀当座預金)を必要としない取引を例に出し、なぜ銀行が自分のお金の合計額を上回る額を融資に回せるのかについて解説した。
しかし当然銀行が自分のお金を必要とするケースも存在する。そのため銀行は融資額に対して一定比率の自分のお金(現金+日銀当座預金)を保有しておかなければならないと定められている(この比率を準備率と呼ぶ)。
銀行が自分のお金を必要とするケースについては次の章で解説する。
そしてこれはお金が消失するメカニズムと非常に関連が深いのである。
お金が消失するメカニズム
銀行が自分のお金を必要とするケースの一つが、預金者が別の銀行の口座にお金を振り込む時である。
同一銀行内の口座間の送金であれば、銀行はシステム上の処理で口座Aからマイナスした数字を口座Bにプラスすればよいだけであることは確認した。しかし、別の銀行への送金となるとそうもいかない。
なぜ銀行間送金になると話が変わってくるのだろうか。
まずは銀行にとっての「預金」の位置づけから解説する。
そもそも銀行にとって預金は負債(≒借金)として取り扱われる。
我々のイメージする借金とは、「今一定額を貰える代わりに、一定期間後に一定の利子をつけてそれを返さないといけない」というものであろう。
このイメージを踏まえて銀行の預金を考えてみる。
すると銀行にとっての預金とは、「今一定額を貰える代わりに、利用者が要求した時にそれを返さないといけない(時に少額の利子をつけて)」というものである。
先ほど言及した一般的な借金のイメージとの類似性から、銀行にとって我々の預金が負債であることを理解頂けるだろう。
これを踏まえると他行宛ての送金とは、銀行にとって負債として扱われる預金を自行の口座残高から減らし他行の口座残高に付け替える行為といえるわけだ。かなり乱暴な言い方をすれば、自分の借金を他人に押し付けるような行為なわけである。こう考えると、それと同額の資産を他行に差し出さないといけないのは当然であろう。
そしてこの同額の資産の差出は、各銀行が持つ日銀当座預金を通した送金によって行われる。
佐藤さんが木村さんに送金をしようとした際、佐藤さん口座の残高からマイナスをし木村さん口座の残高に同額をプラスをしたのとちょうど同じように、銀行Aの日銀当座預金からマイナスされた分の金額が、銀行Bの日銀当座預金にプラスされるのである。
例えば銀行Aに口座を持つ佐藤さんが銀行Bに口座を持つ田中さんに100万円送金をしたいとき。
利用者側から見た動きは同銀行内での送金と変わらない。つまり佐藤さんの口座から100万円がマイナスされ、田中さんの口座にその100万円がプラスされるだけである。(ここでは手数料等は考えない)
ただ先ほど言ったように、銀行側から見ると負債(≒借金)100万円分が銀行Aから銀行Bに移転される取引となる。そのため銀行Aは、銀行Bに借金を押し付ける代わりに銀行Bに同額分を送金しないといけない。
つまり銀行Aの日銀当座預金から100万円がマイナスされ、銀行Bの日銀当座預金に100万円がプラスされるのである。
前述のとおり、この日銀当座預金は銀行にとっては自分の財布である。
そのため、他行宛ての送金があった場合には自分の財布からお金を出さないといけないわけである。
銀行が現金を必要とするケースのもう一つが預金者が預金を引き出したときである。
預金者がATMに並び預金を引き出そうとするとき、銀行は当然現金を用意しておかなければならない。
これについても先ほどの例を出してお金の動きを見てみよう。
今佐藤さんが口座から100万円を引き出すことを想定する。
もともとの状態が以下の通りとする。
・銀行:現金200万円
・佐藤さんと木村さん:銀行預金それぞれ100万円ずつ(合計200万円)
・X社:現金200万円
社会全体:600万円
ここから佐藤さんが現金100万円をATMから引き出すと以下の通りになる。
・銀行:現金100万円
・木村さん:銀行預金100万円
・佐藤さん:現金100万円
・X社:現金200万円
社会全体:500万円
お気づきだろうか。佐藤さんがお金を引き出すと引き出した分の100万円が社会から消えてなくなってしまったのである。
預金の引き出しは銀行が預金を受け付けた時と全く逆の取引が起こることとなるため、お金が消失することになるのである。もし木村さんもお金を引き出せば、一番最初に仮定した状況に後戻りするため、社会全体のお金の量は600万円に戻るわけである。
このようにお金が増えた方法と逆のことをするとお金が消えて無くなるわけである。
ちなみに仮に銀行が預け受けていた200万円のうち150万円を使ってしまっていて、現金を50万円しか保有していなかった場合、銀行はどこから不足分を調達するのだろうか。
それは日銀当座預金である。先ほども言った通り、まさに銀行にとっての銀行口座である日銀当座預金から銀行を引き出してこれを補填するのである。
もし仮に日銀当座預金にも十分なお金がない場合はどうするのだろうか。
その場合には他の民間銀行や日本銀行から非常に低い金利でお金を借りるのである。(この貸し借りで用いられる金利は無担保コールレートなどと呼ばれ、日銀の政策に深く関連するものである。これについては別記事で詳しく解説する。)
先ほどATMから現金を引き出すとお金の総量が減少することを解説した。
お金の総量が減少するパターンはもう一つある。
それはお金が返済されたときである。
再度具体例に戻る。
今下記の状態だとする。
先ほどまでの例から少し変えて、企業Yと企業Zを登場させた。
またここでは考慮不要のため佐藤さんと木村さんは除外した。
なお企業Xの銀行預金300万円は全額銀行から受けた融資だとする。
・銀行A:現金200万円
・企業X:銀行預金300万円(全額銀行から受けた融資)
・企業Y:0円
・企業Z:銀行預金400万円
社会全体:900万円
ここで企業Xが、下記2つの行動をとった。
①借り入れた300万円を使って企業Yから原材料を購入(企業Xの口座から企業Yの口座へ300万円が移動)
②企業Yから購入した原材料をもとに製造した商品を350万円で企業Zに販売(企業Zの口座から企業Xの口座へ350万円が移動)
これを踏まえると、各者のお金の保有量は以下のとおりである。
・銀行A:現金200万円
・企業X:銀行預金350万円(もともとの300万円 – 原材料購入費の300万円 + 売上350万円)
・企業Y:銀行預金300万円
・企業Z:銀行預金50万円
社会全体:900万円
企業Xは返済の目処が立ったので、銀行Aに対して利子をつけた310万円を返済した。
・銀行A:現金200万円(企業Xからの返済があっても企業Xの銀行預金残高が減るだけで現金が入ってくるわけではない)
・企業X:現金40万円
・企業Y:銀行預金300万円
・企業Z:現金50万円
社会全体:590万円
ここでもともとの貸し出し額300万円に利子の10万円分を合わせた310万円分が社会から消えたことが分かってもらえるだろう。これがまさにお金が突然社会から姿を消す瞬間である。
銀行融資によって何もないところから生みだされたお金は、その返済をもって利子を付け足したうえで消滅するのである。
まとめ
この記事の中では、「社会全体でお金の総量は増減するのか?」という素朴な疑問を起点にして、これについて深く考えてみた。
しかしお金の総量の増減メカニズムを理解するだけでは、本当に使える知識とは言えないだろう。
なぜならお金を考えるうえで本当に重要なことはその「量」ではなく、その「配置」にあるからだ。
例えば、今存在しているお金の金額をすべて1.5倍に読み替える法律を施行したとする。つまり1万円札は1.5万円札に、5000円札は7500円札になる。当然あなたの預金額も1.5倍になるが、あなたの隣の人の預金額も企業の保有する預金額も、ひいては物価も当然1.5倍になる。
これでは文字通りただお金の量が増えただけで、経済へのインパクトは全くないだろう。
では子供を持つ世帯の保有するお金の金額だけを1.5倍に読み替えたらどうだろうか。
子持ち世帯の保有する金額だけが増えるため、例えば教育投資が促進されるかもしれない。
するとこれは経済的なインパクトに繋がりうる変化と言えるだろう。
ただこれは社会全体でのお金の「総量」が増えたから起こった経済的なインパクトではなく、「配置」が変わったことに起因するものである。
あくまでお金の総量が増減するのはこうした政策の結果であり、それ自体が直接的な経済的インパクトの要因にはなりえないのである。
お金の総量とその配置については、別の記事で考えてきたい。
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